ブータン人の考え方

生まれ変わりを信じる国民で、今が幸せだと思う人が8割とか。来世が、人間か動物か植物か、虫か、何になるかわからないので、なるべく多くの徳を積んで、来世は今以上の良い人生に生まれ変わりたいと望み、多くはない年収から、毎年2度も大金を使って法要をするのだとか。キリスト教の学校を卒業したけれど、仏教の考え方の方が、しっくりくる。死んだら、はいそれまでよ、という1回こっきりの人生ではなくて、魂は死なずに、49日とは言わないけれど、何年か何十年後か、また生まれ変わるような気がする。私が読んだ本では、人は人として生まれ変わる、と書いてあったので、来世が人以外のものになるとは、今の所は、思っていない。世界の王室に生まれた人の前世って何だったのだろう。興味津々。また、この世で、皆に慕われ尊敬された偉人は、来世何に生まれ変わるのだろう。この世を、本当に満足して暮らした人は、今までの使命を終えて、生まれ変わってくる必要がないと思う、と気功師の望月勇氏が書いていた。逆に、不満たらたらの人生を終えた人は、次回も何かを克服するために生まれ変わってくるらしい。やりたいことを決め、それを実行して、毎年達成気分を味わい、人生を楽しみたい。手塚治虫の「リボンの騎士」に、魂が生まれる順番を並んでいるシーンがあったけれど、今回生まれるまでに、何年待って生まれてきたのだろう?
玄侑宗久氏もそうだと思うが、修行を積んだ僧侶は、一種のエスパー的能力が身につくのでは?昨年、伯母の1周忌のお経を聞いていた間、その場では、ぴたりとある症状が出なかったから。お経も一種のまじない、というか、その場を清める作用があるのだと思う。子どもの頃お経が退屈だとか意味不明だとか思っていた頃にはわからなかったが、お経の功徳は奥が深いと思う。教会での聖歌も、同様の効果があるのかも。音楽的には聖歌、讃美歌の方が好きだが、内容的には仏教の方がしっくりくる。といいつつ、摩訶般若心経、まだ暗記できていない。一時は、書いて音読して、暗記しようと試みたのだけど挫折したまま。玄侑氏のお薦めで、般若心経をよどみなく唱えている間は、脳が空になって雑念は入り込めないんだとか。呼吸法にもなるので、僧侶は長生きだそうな。