靖国神社の祭神と靖国焼き払い計画byGHQ

靖国神社ウィキペディアで見てみたら、知らなかったことばかりでした。

従軍看護婦疎開途中に爆撃されて亡くなった学童、ひめゆり学徒隊新撰組吉田松陰坂本龍馬高杉晋作なども祭神だったのですね。
また、北白川宮能久親王と、蒙彊神社(張家口)に祀られていた北白川宮永久王とを遷座合祀して1座を新たに設けた。従って現在の神座は、英霊を祀る1座と能久親王、永久王を祀る1座の2座ということも全然知りませんでした。

そしてなんと!GHQ靖国を焼き払う予定だったんですね。ローマ教皇庁代表の神父様の言葉で、それをやめた。そして、1980年バチカンの大聖堂で、ABC戦犯の追悼ミサが行われただなんて、全く寝耳に水でした。
以下ウィキから引用:

焼き払い計画とローマ教皇庁
終戦後も靖国神社が存続したことについて、以下のような逸話が語られている。戦後に日本を占領したGHQは、1945年靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設する計画を立てていたが、賛否両論が巻き起こり収拾が付かなくなっていた。
そこでローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテルBruno Bitter神父とメリノール宣教会のパトリック・バーン Patrick Byrne神父に意見を求めることになった。

ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。」「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である」とまで言ったという。そして次の言葉で締め括った。
靖国神社国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである。」
この進言により靖国神社は焼き払いを免れたという。バーン神父もビッテル神父と同趣旨の進言をした。

その後、1975年には真言宗醍醐派品川寺僧侶仲田順和(のち醍醐寺第百三世座主)が教皇パウロ6世に東京裁判で戦犯となったものへのミサを行うことを依頼すると、教皇はミサを約束する。パウロ6世は1978年に死亡するが、1980年5月21日、教皇ヨハネ・パウロ2世パウロ6世の遺志を引き継ぎ、A級戦犯BC級戦犯として処刑された人々へのミサがサン・ピエトロ大聖堂で行われ、1068柱の位牌が奉納された。


祭神
幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり1853年のペリー来航以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」と称して祀り、その柱数(柱(はしら)は神を数える単位)は2004年(平成16年)10月現在で計246万6532柱にも及ぶ。当初は祭神は「忠霊」・「忠魂」と称されていたが、1904年(明治37年)から翌年にかけての日露戦争を機に新たに「英霊」と称されるようになった。

本殿での祭神の神座は当初は1座であったが、1959年(昭和34年)に創建90年を記念して台湾神宮および台南神社に祀られていた北白川宮能久親王と、蒙彊神社(張家口)に祀られていた北白川宮永久王とを遷座合祀して1座を新たに設けた。従って現在の神座は、英霊を祀る1座と能久親王、永久王を祀る1座の2座である。


祭神の主な内訳は、以下の通り2004年(平成16年)10月17日現在

戦争・事変名 柱数 備考
1868年-1869年/戊辰戦争明治維新
0007751/7751柱 新政府軍側のみ。遊就館靖国の神々の一覧表では「明治維新」のみ(彰義隊新撰組を含む)旧幕府軍奥羽越列藩同盟軍の戦死者は対象外となる。

1877年/西南戦争
0006971/6971柱 政府軍側のみ、西郷隆盛ら薩摩軍は対象外。

1874年/台湾出兵(別名:征台の役) 0001130/1130柱

1875年/江華島事件 0000002/2柱
1882年/壬午事変  0000014/14柱
1882年/京城事変(甲申政変)0000006/6柱
遊就館の「靖国の神々の一覧表」では、壬午事変江華島事件京城事変はなぜか一覧表にない。

1894年-1895年/日清戦争 0013619/1万3619柱
1900年/義和団事件   0001256/1256

1904年-1905年/日露戦争 0088429/8万8429柱

1914年-1918年/第一次世界大戦 0004850/4850柱
1928年/済南事件    0000185/185柱
1930年/霧社事件
1931年06月/中村大尉事件外 0000019/19柱

1931年09月-1932年02月/満洲事変 0017176/1万7176柱

1937年-1945年/支那事変(日中戦争)0191250/19万1250柱

1941年-1945年/大東亜戦争(太平洋戦争)2133915/213万3915柱
第一次インドシナ戦争などの大東亜戦争後のアジア独立戦争で戦没した者も含む。
計 246万6532柱

準軍属その他

1.軍の要請に基づいて戦闘に参加し、当該戦闘に基づく負傷または疾病により死亡した者(満洲開拓団員・満洲開拓青年義勇隊員・沖縄県一般邦人・南方および満洲開発要員・洋上魚漁監視員)。
2.特別未帰還者の死没者(ソビエト連邦樺太満洲・中国に抑留中、死亡した者・戦時死亡宣告により死亡とみなされた者)。
3.国家総動員法に基づく徴用または協力者中の死没者(学徒・徴用工・女子挺身隊員・報国隊員・日本赤十字社救護看護婦)。
4.船舶運営会の運航する船舶の乗務員で死亡した者。
5.国民義勇隊員で、その業務に従事中に死亡した者(学域組織隊・地域組織隊・職域組織隊)。
6.旧防空法により防空従事中の警防団員。
7.交換船沈没により死亡した乗員(「阿波丸事件」を指す)。
8.沖縄県疎開学童死没者(輸送船対馬丸で沖縄から鹿児島への学童疎開中に敵潜水艦により撃沈された小学校児童達を指す)。
9.外務省等職員(関東局職員・朝鮮総督府職員・台湾総督府職員・樺太庁職員・南洋庁職員)。

その他

幕末の志士である吉田松陰坂本龍馬高杉晋作中岡慎太郎武市半平太橋本左内大村益次郎等も維新殉難者として合祀されている。これは戊辰戦争における新政府軍側の戦没者を契機として創祀された事情から戊辰以降の戦没者を対象とする合祀基準を、嘉永6年に遡らせたためである。それに対して、戊辰戦争での旧幕府軍の兵士や、奥羽越列藩同盟の兵士、新選組彰義隊などの旧幕臣の戦死者は祀られていない。ただし、禁門の変長州藩勢との戦いで戦死した会津藩兵らは、朝廷(天皇)を守護したとして祀られている。(また長州藩はこの禁門の変では賊軍とされているが、戦死(実際は自害)した久坂玄瑞などは合祀されている。)
明治維新の功労者であっても、その後に叛乱を起こし、あるいは叛乱に加担した西郷隆盛江藤新平前原一誠らは祀られていない。
1868年(慶応4年)2月15日に起きた堺事件(土佐藩の隊旗を奪ったフランス人水兵を土佐藩兵が殺害した事件)の責めを受けて、堺の妙国寺切腹した11人の土佐藩兵は祀られている。
西南戦争で戦死した警視隊の警察官も祀られている。
乃木希典東郷平八郎といった著名な軍人や八甲田雪中行軍遭難事件の遭難者等は、戦時の死歿者でないため祀られていない。

女性。女性は5万7千余柱が祀られている。西南戦争日清戦争日露戦争大東亜戦争における軍病院、病院船の従軍・救護看護婦などである。最初の女性合祀者は、戊辰戦争の南部・秋田戦線で死亡した、女軍夫の山城ミヨである。沖縄戦でのひめゆり学徒隊、白梅学徒隊等の7女学校の生徒、南樺太での真岡郵便電信局事件の女性等を含む。
学徒。学徒動員中に軍需工場で爆死した学徒。